女子サッカー元日本代表。愛知県名古屋市出身。浦和レッズレディース、AC長野パルセイロレディースでプレーし、2017年には日本代表に選出。同年にヨーロッパへ拠点を移し、オーストリア、ドイツでプレー。帰国後AC長野パルセイロレディースに復帰し、2022年6月に引退。現在はJFAこころのプロジェクトメンバーとしての活動や個人・団体向けにメンタルコーチングを行なっている。
ガンバ大阪ユースから1998年トップチーム昇格。不動のボランチとしてJ1初制覇、アジア制覇などガンバ大阪の黄金期を支えた。その後、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪、AC 長野パルセイロ、東京ヴェルディ、FC 今治でプレーし、2022年におこしやす京都AC に選手兼ヘッドコーチとして加入。2023年に現役を引退。日本代表としては国際A マッチ・15試合に出場。
川崎フロンターレでプロデビュー後、横浜F・マリノス、柏レイソル、サガン鳥栖などでプレーし、ミッドフィールダー/センターバックとして活躍。2006年にはJリーグベストイレブン選出、北京五輪U-23代表、日本代表にも選ばれた経験を持つ。2019年に現役を引退後は地元・横須賀でサッカースクール「パッパニーニョ」を開き、子どもたちへの指導に情熱を注いでいる。
市立船橋高校でプレーし、2年生時に全国高校サッカー選手権に出場。自身のヘディングで決勝点を挙げ優勝。柏レイソルに入団、2007年にガンバ大阪へ期限付き移籍。翌年には完全移籍で加入し、レギュラーの座を掴みACLや天皇杯などのタイトル獲得に貢献。その後2013年に川崎フロンターレ、2015年にセレッソ大阪へ移籍し、2016年引退。現在は選手仲介人。
2009年四国リーグのカマタマーレ讃岐に加入。2010年から正GKとしてJFL昇格に貢献。特にPK戦で勝負強さを発揮。選手会長としてチームを支え、2013年のJ2昇格を経験。引退後は讃岐、FC東京でクラブスタッフとして従事。現役選手たちからの信頼も厚い。
中学生までを高知県で過ごす。全国高校選手権に憧れて、1996年に山口県の多々良学園高校に進学。(現高川学園)その後2000年に・名古屋グランパスエイトに入団。FC東京・東京ヴェルディ1969・徳島ヴォルティス・FC町田ゼルビアでプレーし、2014で現役を引退。現在は株式会社GRIT 代表取締役・東京都町田市でサッカースクール運営(gaina.fc)
2015年から2018年までの4シーズン、AC長野パルセイロ・レディースでプレー。小柄ながらもピッチを縦横無尽に駆け回り、攻守両面で献身的なプレーを続け、“長野旋風”を巻き起こしたメンバーの一人としてチームを支えた。その後オーストラリアに渡り、5年間にわたりプレーを続け、トップリーグA-League Womenでの挑戦も経験。現在は女子サッカー日本代表・長野風花のマネジメントを担当し、スポーツの可能性を社会や企業に広め、アスリートの価値を高める活動を展開している。
元日本代表DF。2000年横浜F.マリノスでJリーグデビュー。2002年に東京ヴェルディに期限付き移籍。2004年に横浜に復帰し、J1リーグのタイトルを獲得。2009年に名古屋グランパスに移籍し、2010年には再びJ1リーグ優勝。2014年に松本山雅FCに移籍、2度のJ1リーグ昇格。豊富な運動量と正確なクロス、そして闘志あふれるプレーで、どのクラブでも愛されてきた。2022年に引退。
WRCコアメンバー/TOPPAN(株)スポーツ専従社員。ラグビー日本代表、パリオリンピックやワールドカップ出場。全国大会3連覇中の東京山九フェニックスに所属。スピードとパワーを活かしたダイナミックなランとボールキャリーが得意。父はラグビーW杯4大会代表、日本代表キャップ43、代表の15番を背負い続けたレジェンド・松田努氏。
WRCコアメンバー。元ラグビー日本代表、リオデジャネイロオリンピックやワールドカップ4大会出場 現在2児の母、WOMEN‘S RUGBY COMMUNITYコアメンバー、 YOKOHAMA TKMクラブアドバイザー、代表戦の解説やラグビークリニックなど活動は多岐にわたる。
WRCサポートメンバー。元ラグビーU23日本代表。ビーチラグビーに転向、全国大会優勝経験。 タッチラグビーの大会の企画運営やDragon AshのMV出演など活動は多岐に渡る。